9年前の今日、神戸での里帰り出産から2ヶ月が経ったところで当時住んでいた千葉の家に戻ろうと成田行きの飛行機に乗った。授乳しながら私も一緒にウトウトしていたら東京付近でずっと旋回を繰り返していることに気がつき、えらい時間がかかるな、と思って機内を見回したら明らかにCAさんが平静を装おうとしているところだった。「地震のため、どこにも着陸できません。伊丹へ引き返します」の緊迫したアナウンスが流れてもまだ余裕で苦笑いするサラリーマンもいた。

もう伊丹を出て2時間は経っていたと思う。1時間近く旋回してたことになる。再度アナウンスで「関東一帯の全ての空港で着陸不可のため、止むを得ず伊丹に引き返します。地震が発生したとのことですが詳細な情報が入っていない状態です。ご迷惑をおかけして申し訳ございません」みたいなことを言っていたと思う。私は阪神大震災のことを思い出してまたあれがきちゃったのか、と泣いてしまった。隣に義母がいてくれたこととすやすや寝ていた2ヶ月の赤ちゃんが心の支えだった。夫のこと、猫のこと。東京に住む友達のこと。とにかく大丈夫であればいいと思った。

旋回を続けていた時間より早く伊丹空港に戻った。待合室にあったテレビを100人ぐらいの人が囲んでただ何も言えず見つめていた。一番先に実母に電話をかけた。あんたを見送ったあと喫茶店でお茶を飲んで今家に帰ってきたところよ、と呑気に言われ、とにかくいますぐにテレビをつけてと言った。え?と言ったまましばらく無言だった。あんたどうするのと言われ、わからないけどとにかく千葉の家に帰りたいと答えた。義母とふたり待合室で放心状態になっていたら、テレビを見たらしい義父が駆けつけてきてくれた。少しずつ正気に戻ってきたところでやっとツイッターを開いたと思う。知ってる人がTLにいるだけで安心した。とりあえず夫の実家に帰宅。赤ちゃんだけが通常運転だった。夫の実家は伊丹空港からさほど遠くないところにあるので、義父がまた伊丹まで足を運んで「明日の分の飛行機のチケット取ってきたから明日の便で帰りなさい」と言ってくれた。怖くてまだニュースをあまり見れなかったが夫とは連絡が取れた。付近の社員は帰宅、おれは今日はいったん寝袋で寝るけど電車動いてないからどうしよう明日は帰れんのかな、みたいな会話。

翌日のこと、それ以降のこと、実はほとんど覚えていない。とにかく猫が無事であれば。電車は奇跡的に動いていた。すごい。確か普通に成田から千葉の家まで帰宅できた。惨状を覚悟していたのに家の中は10分もあれば片付いた程度で、被害と言えるような被害がなかった。猫にはあっおかえり、という顔をされた。怪我一つしていなかった。当時印西市に住んでいたんだけど、後から印西市の自分の住んでいたあたりの地盤が強いことを知った。なんせ運が良かった。不安だらけでも2ヶ月の赤ちゃんに地震のことを言ったって仕方ないから育児に専念した。被曝、したかな。してるよな。当時やってたツイッターの育児アカウントでお母さんたちと情報交換はしたけど、何が正解だったか今も全然わからない。何もわからなくて全部手探りだったけど、4月の晴れた日に赤ちゃんが初めて笑ってくれたから、もういいや、ただただ頑張ろう、って思った。

毎年3月がきたら思うこと、つらつらと書いた。忘れないように。みんなが生きたいと思って生きていけるように。